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藤の屋文具店

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みばえ



【みばえ】

「父は反対しているの」

何度かためらったあと、和代は切り出した。予測はしていた。彼
女の父親の俺を見る目には、どこかよそよそしいものがあったから
だ。

「誤解しないでね、父はあなたの事を嫌っているわけじゃないの。
それどころか、あなたの事はりっぱな男だっていつも言っているの
よ」

じゃあ反対なんかするなよ! 俺は喉元まで出かかった言葉を飲
み込んだ。間がもてずに煙草をくわえる。ほっそりとした白い手が
すっと延びて、俺の煙草を取り上げた。マッチを器用に操って、彼
女は煙草に火を付ける。軽く一服吸ったあと、煙草は俺のくちびる
に戻された。斜め前のボックスのさえない男が、うらやましそうな
顔をしてさりげなく覗く。
俺は、自分で言うのもなんだが、とてもハンサムである。子ども
の頃から女にもててしょうがなかった。もっとも、俺の友達もみな
もてるから、でかい顔していられるのはこういうさえない連中の前
だけなんだけど。

「父はね、よそものが嫌いなのよ」

そりゃそうだ、地元の名士にしてみれば、一人娘の相手の家が、
由緒正しい家系でないと面白くないだろう。俺んちは、親父の代か
ら始まったばかりの若い家系だ、つりあいがとれないのは先刻ご承
知さ。俺は、人差し指と親指で煙草を摘むと、中指でかるく叩いて
灰を落とした。

「ね、子供つくっちゃお!」

その言葉に、斜め前のボックスの客の肩がびくりと震えた。無理
もない、そこいらの公衆便所のような女ならともかく、お嬢さん然
とした和代の口から出たのだ。

「子供ができちゃえば反対しないって」

そりゃまぁ、そうだわな。選択の余地があるうちはともかく、抜
き差しならない関係になっちまえば、俺達の結婚に反対するほどの
理由なんてなんにもありゃしない。俺は、フィルターの先2センチ
ほどになった煙草をもみ消すと、言った。

「ようし、造ったろ!」



俺達は、昼も夜もなく愛し合った。だが、必死の努力も虚しく、
俺達には子どもができなかった。むろん、俺達の事が親にわからぬ
はずはない。ある日、俺は彼女の父親に呼び出されて、ふたりきり
で話し合う事になった。

「君の兄弟は、ひょっとして男ばかりじゃないかね?」
「ええ、そうですが・・」
「君のお父さんは、流れ者じゃないかね?」
「ええ、・・・でもそれは、人間の値打ちとは関係ありません」
「・・・君の言いたい事はわかるよ、わたしはそんな事をいいたい
んじゃないんだ。ところで、もうひとつ聞かせてくれ。君のお父さ
んは、自分の両親の話を君にした事があるかね?」
「・・・いえ、ありません。どこかの施設で育ったと言っていまし
た。でも、それと父の人間としての価値とは・・・・・」
「・・わかってる。だが、私の話を聞いてくれ」

彼は、苦渋に満ちた顔で話し始めた。同情するような目付きに、
いいようのない不安を感じる。
「二十五年ほど前、この島にたくさんの若者がやってきた。かれら
はみな、とても逞しくていい男だった。島の娘達はかれらに恋をし
、そして一緒になった」
彼は、俺の顔をじっと見据えて続けた。
「そして、やがて子どもが生まれた。だが、それは全部男の子ばか
りだった」
俺は、背筋になにか冷たいものが走るのを感じた。そうだ、そう
いえば俺の同級生は男ばかりで、親父はみなかっこいい。そして、
なぜか兄弟のようにみな良く似ている。
「その男の子たちは成人して、やがて結婚して子どもをつくる年齢
になった」
彼は、俺の顔をちらりと見た。哀れみがはっきりと見て取れた。
「だが、彼らには子どもが生まれない」
俺の心は張り裂けそうだった。なぜだ、どうして俺達には子ども
が生まれないのだ! なぜだ、一体何が25年前にあったのだ!
「この島ではもう、子どもは生まれんのかもしれん」
彼の言葉が、力なく響く。
「娘は、子どもが生めなくとも、君を諦めるつもりはないらしい。
わたしには、生木を裂くようなまねはできん。君がいなくなれば、
娘は死んでしまうだろう・・・・」

そうか、俺達の事を認めてくれるという訳か。しかし、俺の心に
はもう、嬉しさはなかった。どんな理由か知らないが、俺達の愛に
未来はない。和代を諦める方が彼女のためなのだろうか?
いや、違う! 俺達はもう、お互いに知り合ってしまったのだ。
知らずに過ごしたなら諦めもつくが、知り合ってしまった今では遅
すぎる。たとえ俺達の進む先には滅亡の淵が待ち受けていようとも
、俺達はもう、先に進むしかないのだ。

「和代さんと一緒にさせて下さい」

父親は、さみしそうにうなずいた。一人娘を嫁に出す、その寂し
さとは比較にならない。この地で栄えてきた彼の家系が、どんな理
由かわからないが今途絶えようとしている。しかし、彼は娘を愛し
ていた。和代が、自分自身の幸せを手に入れる事ができるのなら、
それでもいいと思った・・・・・・・・。

70年が過ぎた。

2118年の冬、ある島で、ひとつの種族が絶滅した。すさまじ
い繁殖力とすばらしいバイタリティを誇り、その器用さを生かして
勤勉に働く事で世界中を制覇した種族の、最後の「つがい」だった。
病に倒れ意識を失いつつある男の枕元で、女は毒を口に含んでそ
っと口づけをした。ふたりはしっかりと抱き合い、そして、このう
えなく幸せそうな顔で逝った。

窓の外では、まっしろな雪がいつしか降り出していた。





ミバエという蝿の仲間がいる。蜜柑やオレンジの果実の中を幼虫
が食べるので、害虫と呼ばれている。もっとも、彼らにしてみれば
心外というものだ。彼らは自然界のルールにのっとり、定められた
営みによって種族の発展にせっせと励んでいるだけなのである。

1992年、地中海ミバエの駆除法が確立された。

従来の薬物による駆除では、耐性を持つ変異種の出現により次第
に無力化される。また、環境汚染のために、あまり強力な薬品を開
発する事も出来ない。
そこで考え出されたのは、生物学的な駆除法である。すなわち、
養殖したミバエの雄に、生殖能力を残したまま不妊手術を施し、そ
れを大量にばらまく事で繁殖を妨害したのだ。
作戦は成功し、ミバエによる柑橘類の食害は激減した。しかし、
健康な雄も生殖に参加する以上、完全な絶滅は確率的に不可能だっ
た。そこで新たに考えられたのが、選択式繁殖阻害理論である。

雄には、雌を引きつける誘引物質を分泌する腺がある。この腺を
強力にした雄を大量に養殖して放してやると、ノーマルの雄は雌を
手に入れる事が非常に困難になる。そして、遺伝子に細工をされた
雄とノーマルの雌の間には、とても魅力的で、しかも繁殖能力のな
い雄だけが生まれるのだ。

この、遺伝子操作による特定種族の駆除法は、その後分子生物学
の発展により応用範囲を広げ、生態系のバランスを著しく欠いて繁
殖した種の、人道的な絶滅の方法として認知された。





雪は、まだ降り続けている。



{了}



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